浪人生当時の自分が入手できた情報を振り返れば、やむを得なかった面は否めないが、
それでも、大学で文系の学部に進んでしまったことは、致命的な過ちだった。
自分には全くと言っていいほど、文系学部を卒業した後に就職先候補として挙げられる様々な職種について、
適性というものがなかった。
精神的に非常に脆く、叱られることへの耐性が非常に低く、
他人と仲良くなるという意味でのコミュニケーション能力がほぼ無く、
車の運転ができず、もの凄く体が疲れやすくて体力がなく、
プレッシャーに弱く、酒が飲めない、この時点でまず営業系の職種は絶望的。
また、これらの特性と合わせ、ケアレスミスが多いことから、
事務系の職種はもちろん、
当時は某所で「この日本でもっとも楽」と言われていた大学職員すら、
自分には務まらなかった。
浪人生当時、最初は理系を志望していたのだが、
高校時代は重度の鬱状態によりほとんど勉強ができなかったことから、
6月ぐらいになって、「このままでは、勉強が間に合わない」と思い、
1時間も考えずにあっさりと文転を決めてしまった。
また、今思うと不思議なのだが、
当時の自分には「自分は必ず小説家になれる」という確信があり、
「どうせ小説家になれるのだから、文転しても大差ないでしょ」と、
本当に適当に決断を下してしまった。
どうしようもなく自分は愚かだった。
(30代前半で夢を諦める時に改めて思ったのだが、
当時は自分が致命的に他人と気が合わないのは、
何か特別な才能があるからだと勘違いしてしまっていて、
その実は、単にコミュニケーション能力が致命的に低いだけだった)
結局今は障害者枠でITエンジニアとして働いているが、学生時代、
特に大学時代の勉強が全くと言っていいほど現在に生かされていないのが、
非常に精神にこたえる。
また、今はとにかく自然言語処理をはじめとしたAI研究が面白そうなのだが、
自分は数Ⅱ・Bまでしかまともに数学を勉強していなくて、
(国立大学落ちで滑り止めの私立へ進学)
その記憶ですら大半は忘れてしまって、
今から高校数学のやり直しから大学数学の勉強とかやったら、
それこそ50歳とかになってしまうと思い、
泣く泣く自然言語処理の学習を諦めた経緯から、
理系の学部に進学してしっかり数学を勉強していればと、
非常に大きな後悔をしている。
僕がインターネットに初めて触れたのは大学入学後で、高校時代は友達がおらず、
父が地方公務員で世間知らずな人間であることもあって、
マジで世の中の現実というものが全く分かっていなかった。
親族の誰かに、「お前みたいに、大人しくて気が弱くて軟弱な奴は、
絶対に理系に進んどけ、または手に職をつけろ」
と小さい頃から怒鳴るようにして散々言い聞かせて欲しかった。
(もちろん、理系に進学していたからと言って、人生が好転していたかはわからない)
新卒の就活で面接で落ちまくって、「あれ、自分のような人間は
社会で求められてないのか!?」と強いショックを受けて、
最終的には陽キャを装って、ある会社の役員をある意味で騙し、
入社してメッキが剥がれ、やがてその役員が
「詐欺師」と自分の悪口を言っている現場を目撃する、
そしてその会社は1年5か月あまりで上司とうまくやれなくて退職、
という最悪な結果が待っているのだが、
そのあたりの話はまた別の機会にしようと思う。
もし自分がどっかの大学の情報学科に進学していて、
修士までしっかり勉強していたらと思うと、
たまらない気持ちになる。
もちろん、それは今更言っても仕方ないことだが、
いやらしい言い方をすると「無駄が少ない」、
いい言い方をすると「重厚なキャリアの蓄積がある」人々というのが
世の中に少なからずいて、
40代前半にもなると、大きく花開いた人々の姿を目にすることも少なくなくて、
彼らの人生を思うと、羨まずにはいられない。
今の若い人は、ネットでいくらでも社会の情報が入手できるから、
自分の時代よりは遥かにマシかと思うが、
それでも周囲に世間を知っている大人がいないと、
ネットで飛び交っている情報の真偽を見極めるのに非常に難儀するだろうと思う。
この辺の話は、地域間格差の話になって、
あんまり掘り下げると親ガチャ云々の話になってしまうので
これ以上掘り下げることはしないが、
自分の人生にはあまりに無駄なことが多すぎたな、
と思って深い後悔にとらわれ続けていることを述べておく。