犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

大学職員を辞める時の葛藤について(2024/3/20)

辞表を提出する前は、最悪な精神状態だった。

10年以上「努力」を続けてきた小説家の夢が、

全く叶いそうにないことで激しく苛立つとともに、
ほとんど諦めかけてもいて、

「膨大な時間をドブに捨ててしまった、大失敗だった」]

とか思う面もあって、
激しい憂鬱に陥ることも多かった。

また、両親と揉めていて、しばらく実家に帰らないうちに

実家の犬が亡くなってしまって、
とても自分に懐いてくれたことから、

死に目に会えなかったことに強い申し訳の無さを抱いていて、
これに加えて、プライベートで本当に陰惨な、

決定的な精神的打撃を受けた出来事に遭遇したこともあって、
かなり精神的にボロボロな状態にあった。

出勤して資料を読んでも全然内容が頭に入ってこず、
協力してやる作業でミスを連発して周りからイラつかれていて、
元々若手職員の飲み会はいかなかったが、

部署の飲み会も参加しないようになっていて、
「いかにミスをしないか」という観点で評価される大学職員という仕事が

完全に嫌になっていたこともあり、
毎日出勤するのが本当に辛かった。

それに、この頃にはもう、自分が務まるポジションは

職場内に10もないことは分かっていたし、
クレーム対応はもうやりたくないと心底願っていたし、
何より、自分と似た、繊細で傷つきやすいタイプの先輩たちが、
いずれも非常に苦しそうな立場に陥っているのを目にしていたことも大きかった。

休職することも考えたが、出向先で休職して多くの人に迷惑をかけてしまっていたし、
復帰直後にまた休職するのはかなり心理的なハードルが高かったし、
大学職員のある意味での本業とも言える、

クレーム対応がとにかく自分には無理で、
もうその時期以前に3年ほど、退職しようかという考えを抱いてた。

濃密な、独特の人間関係が非常に自分と合わなかったことも大きい。
屈折がほとんどない陽キャが多く、彼らのほとんどは人柄が良かったが、

自分とは全く気が合わなかった。
そうでない人もいたが、陽キャでない人同士はあまり仲良くなっておらず、
職場には巨大な仲良しグループと、その輪に入れない人々、

というような二大勢力があって、自分は輪に入れない勢力に属していた。

もちろん、こんなことは退職に繋がることではないが、残念なことに、
自分の観点から見て、かなり意地悪な、

と言うよりも邪悪な心根の持ち主というのが、
主に年上の職員に少なからずいて、

彼らとこの先もずっと付き合っていくのが心底嫌だった、という点が大きい。

職場で浮いてしまっているし、嫌な人も多い、そして何より仕事に全く適性がないし、
務まるポストが10もない、仕事の意義を全く感じないし、

発達障害と診断されたし、現に精神状態が最悪。

そんな状態でも、やはり、仕事を辞めるのは相当怖かった。
自分は大学職員に入職する前、1年間公務員試験浪人をしていたのだが、
その時のプレッシャーがかなり大きかったし、
当時住んでいた職員宿舎が、騒音問題とほぼ無縁でいられたことも大きかった。
生き恥を晒して職場にしがみつこうか、そう考えたことも少なからずあった。

次は自営業か障害者枠かしか選択肢がない、と漠然と考えていたが、
金に困る生活を送ることを何より恐れていたし、それ以上に、
落ちぶれた姿を自分を知っている人間に見られて、
彼らから嘲笑されて生きなければならなくなるかも知れないことが恐ろしかった。

インターネットで、退職の際の葛藤について書かれた記事を読み漁ったし、
半年ぐらいは、手記を書くような形で、退職すべきかどうか、徹底的に考え抜いた。
誰かに相談はしなかった。

そして結局、僕は自分を拾ってくれた職場に、

これ以上迷惑をかけられないと考え、退職した。

それから約10年経った今では、途中後悔することもあったが、

妥当な判断だったと思っている。
というよりむしろ、適性が全くないのに、

大学職員になってしまったことを深く後悔している。
(短期的な最高の結果が、長期的には最悪の結果になり得るのが、人生の怖いところ)

確かにその後、何度も陰惨な経験をしたし、かなり危ない場面も多くあったが、
何とかIT企業の障害者枠の正社員になることができたので、
年収面を抜きにすれば、そのまま大学職員を続けていたよりも、

恐らく幾分かマシな状況にある。

まあ、でもこの先どうなるか分からないし、

また大学職員を辞めたことを深く後悔するときが来るかも知れないが。