犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

夢を諦める時の葛藤について(2024/3/20)

自分は、大学1年生から、32歳まで、計13年ぐらい小説家になる夢を追っていた。
大学時代は、映画をたくさん見て、小説やノンフィクションをたくさん読んで、
詩や短編などを書いて、自分としては「努力」をしているつもりになっていた。

就職してからも、平日は帰宅後の20時から24時ぐらいまでは

本を読んだり何か書いたりしていたし、
土日については、用事がない時は、それこそ朝から晩まで、

小説を書くか読むかして過ごしていた。

そんな自分の無残な投稿歴を書くと、30ぐらい応募して、

1次選考を通過したのがたったの1回である。
今思えば、そんな状況でなぜ書き続けてしまったんだと凄まじい後悔に襲われるが、
若い頃の自分は、「今回駄目だったのは、努力が足りなかったからだ」だとか、
「駄目だった原因を分析して、次に生かせば、確実に夢の実現は近づいてくるはず」

だとか考えていた。

今日では、才能がなければいくらやっても無駄だと思うが、当時の自分は、
「努力すればきっと小説家になれるはず」と考え、

結局人生の完全な無駄な時間になる「努力」を、
馬耳東風な状態で続けることになってしまった。

僕が小説家を目指した理由は主に2つ。

1つは、無から有を生む作業が物凄く面白いと思ったこと。
自分の頭の中にしか存在しない世界が、文章として形になっていく過程が、

面白くて仕方なかった。

もう1つは、とにかく自由になりたかったこと。
対人関係上の問題から、小説家にならなければ生きていけないと

考える側面も強かったが、
国語便覧やWikipediaなどを見て、小説家たちの奔放な人生に強い憧れを抱いていた。

ちょっとおかしいと感じ始めたのは、20代後半ぐらいの時。
小説家になる人は、書き始めてからデビューするまでに年数を要しないことが大半で、
「無努力一発デビュー」もザラにいるのだが、一次選考すら全然通らない中で、
「プロ作家の平均より、かなり大きく後れを取ってしまっている。
もしかして自分は小説家になれない?」などと、強い焦りを抱き始めた。

そんな時は、下積みが長い作家のことを調べなおしたりして、

「大丈夫、まだ可能性がある」と自分に言い聞かせて、
「努力」を続行することにした。

そして、31歳になって、相変わらず一次選考も全く通過しないと、

さすがに自分の認識が歪んでいる可能性を考えずには
いられなかった。

「努力しても、才能がなければ無理なんじゃないか」とか、
「物凄く無駄なことに、貴重な若い時代の時間を、

大量に投下してしまったんじゃないか」などと考えるようになった。

自分としては、やはり過去に大量に時間を投下したことが

完全に無駄になることが恐ろしくて、
過去の時間を無駄にしたくなくて、「別の自己研鑽方法を考えよう」なんて考えて、

あれこれとピントの狂った「努力」を積み上げていた。

そんな自分が結局夢を諦めることにしたのは、32歳の時に、
20代前半の時に1次選考を通過した作品を、大幅に改稿して再応募して、
1次選考も通過しなかったことが決定打となったからだ。
「ああ、自分が1次選考を通過したのは、

単に年齢の下駄を履かせてもらっていただけだったんだな」と思ったし、
自分が全く向上しておらず、むしろ退化していたことを思い知った。

この時には、過去にどれだけ時間を費やしたとしても、

結局問題となるのはこの先デビューできる可能性がどれだけあるかということで、
見込みがないならばもうやめようと、考えるようになっていた。

そして、全身全霊を込めて大幅改稿した作品が

一次選考すら通過しない現実を踏まえて、
自分は致命的に才能が無いと思い知って、

過去に費やした膨大な時間が無駄になることに絶望しつつ、夢を諦めることにした。

この時、ミステリや歴史小説など、

戦い方が異なるジャンルに転向しようかと考えたこともあった。
しかし、ミステリは有名トリックを知っていないと論外とされるようで、

大量に過去作品を読む必要があって、
そもそもミステリが好きではなくて過去作を読む気が全く起きなかったし、

必要な読書量も、千冊を超えるとかいう話で、
到底挑戦する気になれなかった。

歴史小説については、筆者の精神性を売り物にするようなところがあって、

タフガイの精神構造が全く想像できない、
人を引き付ける内面の強さが全くない自分には無理だと思って、

すっぱりと諦めることにした。

今となれば、ある分野について、才能が無いと早々に思い知ることというのは、

とても幸運なことだと考えるようになったが、
当時は、自分に才能がないと認めることに凄まじい抵抗があったため、

挫折感で徹底的に打ちのめされた。
せめて人間関係の蓄積でも持てれば良かったのだが、

自分は完全に一人でやっていて、誰とも交流を持つことはなかった。

小説家になる夢を諦めた直後にまず考えたのは、

「もしあの膨大な時間を、自分に適性のある何某に使っていたら」ということだった。
しっかりと社会に目を向け、的確な自己分析をして、

大企業の内定を搔っ攫っていった同級生たちのことが頭に浮かんで仕方なかった。
敗北感で圧し潰されそうで、たまらない気持ちになった。

嫉妬心も凄まじかった。小説や漫画や、芸能の世界で、自分と同年代とか、

年下のスターが次々と生まれいくのを目にしては、
とても強い妬みの感情を抱いていた。加えて、前述したように、

実業界で活躍している人々にも強いコンプレックスがあった。

やがて全てを諦めるようにして障害者手帳を取り、

障害者枠で非正規で働き始めたころには、元々卑屈だった性格が、
さらに卑屈なものになっていた。