犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

2度の、人間関係の強制リセット(2024/3/17)

自分は人生に二度、当時いた友人を全て失う、という経験をしている。
同様の経験をして、精神的に大打撃を食らった人の何かしらの慰めになればと思い、
以下に自分の体験を述べる。

1度目の人間関係強制リセットは、高校1年生の時に起こったが、
事の経緯を語る前に、それをもたらすことになった背景について述べておく。
ド田舎の村に生まれた自分は、小学校時代、体が小さく気が弱いこともあって、
屈強な奴らに長いこといじめられていた。
(陰湿なものではなかったが、結構辛かった)
1学年1クラスという地獄のような状態で、いじめっ子が3人いて、
時には上級生にいじめられたりして、仲の良い友人もおらず、

小学校時代はマジで地獄だった。
卒業を迎えたとき、中学に入学する不安は強くあったが、

これで「あいつら」から解放される、との安堵を抱いたことを覚えている。

そこで、中学校に入学することになったのだが、自分は成長期が早く、
中1の頃には平均身長より10cm高かったこともあり、

急に周りからいじめられなくなった。
(結局、平均程度の身長に収まったが)

また、中学に入学する頃から急速に筋肉が発達して、

ひ弱だった体が比較的に力強い部類になったから、
周囲の自分に対する態度は、数年の間に激変することになった。
(ここで馬鹿な自分は、成長期にも関わらず筋トレをしまくって、

後にそのことを一生後悔することになる。
これを読んでいる若い人がいたら、筋トレは身長の伸びが止まった後に

やるようにすることを極めて強く推奨します。
筋肉がついていても背は伸びる、と言う人もいるが、

やはり成長期に筋トレをしないに越したことはないと思う)

これで自分の精神構造がどうなったかというと、
残念ながら弱者の痛みを知る善良な人格が発現したということはなく、
異常なまでに自信満々な、ある種傲慢な人間になってしまった。

誰かをいじめたりは決してしなかったが、時折誰かに攻撃的な言葉を吐く、
今思えばかなりの嫌な奴になってしまっていた。

そこで何より悲劇だったのは、当時の自分の頭では、

そのことが全く自覚できていなかったことだ。
中年になった自分から見れば、そんなド田舎の中学で、

何と大したことないことでイキっているんだと思うのだが、
当時の自分は、全くそんなことは思わずに、鬱屈とした小学校時代とは

全く別の日々を送っていたのだ。

そして、身長の伸びも早くに止まり、高校に進学した後のこと。
自分は早速身長にコンプレックスを抱えるようになっていたが、

心の中の高い攻撃性は、まだ根強く自分の中に残っていた。

そこで自分は、高校で出会ったとある人物(これをXとする)に嫌われ、

ハブられる経験をした。
小学校時代は孤立していたにせよ、そのような経験は初めてだったので、
そのことが凄まじいショックで、急激に鬱状態に陥ることになった。

そして、鬱がひどくなってまともに笑ったり人を笑わせたりできなくなって、
暗いから嫌われる→嫌われることを苦にして更に暗くなる

→更に周りから人が離れていく、
という負のスパイラルに落ち込んでいった。
その過程で、当時いた自分の友人たちは、いつの間にか1人もいなくなっていた。

今思えば非は自分にあったと分かるのだが、当時の自分はXを非常に憎悪していたし、
当時は、友人の多さが何よりも自分の人間性の証明だと思っていたので、

長期間、深く悩み苦しむことになった。

高校を中退させてくれと言って、日々、凄まじく両親と揉めた。
現在にも後を引く、悪しき痕跡を人生に刻むことになってしまった。

結局両親は高校中退を許してくれず、僕は最悪な精神状態の中で、

先生方に多大な迷惑をかけつつ、何とか高校を卒業させてもらった。

今でも、時折高校を卒業できないという悪夢を見るぐらい、

高校の3年間はつらかった。
ただ、それは今回の本題ではないので、また別の機会に述べようと思う。
(なお、Xとは、人生をやり直そうと息巻いていたとある大学の入学初日に、

ばったり顔を合わせることになる。
何と、同じ学部の同じ学科に合格したという。

「自分は呪われているのか」と思わずにはいられなかった)


2度目の人間関係リセットは、30代中盤の頃。
精神的な限界を迎えて大学職員を辞めて、

「何かしら自分の力で飯を食べる手段を見つける」とか言って無職をしていた僕は、
まだ何人か、大学時代の友人たちと付き合いがあった。
過去の反省を生かして、徹底的に自分が口に出す言葉は選ぶようにしていたし、
理性によって自らの心に潜む攻撃性を戒めようと常に注意を払うようにしていたし、
辛い時でも極力明るさを失わないようにしようと心がけていたせいで、

割と良好な関係を築けていたとは思う。

ただ、今度は、自分が友人たちに劣等感を抱くようになって、

相互に離れていくような形で、全ての縁が切れることになった。
卒業後10年も経つと、大学時代の友人たちは結構高い収入を稼ぐようになっていて、
若い頃はモテなかった人もモテモテの生活を送るようになっていて、

みんなどんどん自信満々になっていった。

どんどん組織人になっていったし、話す内容も、

非常に上昇志向の高いものになっていた。
一方の自分は、当初は自虐的な笑いで友人たちを笑わせていたが、

自力で食べていく道が見つからない焦りと、
夢に挫折した無力感、収入面でのコンプレックス等で、

やがて自虐的な笑いをとる余裕もなくなり、急速に精神が卑屈になっていった。

特に精神的にこたえたのは、若い頃から周囲に公言していた夢に挫折したことで、
こんなことならば、社会でしっかりキャリアを積む人生を選べばよかったと、

自らの愚かさに心底絶望していた。
自分には才能が無いんだということを認めるまで、

どうしてこんなにも長い時間をかけてしまったんだ、と心底後悔していた。
(夢の挫折については、後日別の記事で述べる予定)

また、大学職員の頃には、発達障害だと医師に診断されていたし、

何も自分に向いている職業がない、
自分は何もできないとの無力感に包まれていたから、
次第に友人と連絡を取らなくなり、友人たちも自分と関わっても

単純に楽しく無かったのだろう、
結局大学で築いた友人も全員失うことになった。

そして現在、正直言えば、父母が亡くなったら、

自分に親しみの感情を抱いてくれる人間が

この世から完全にいなくなることを思うと、

きっと自分は将来発狂することになるだろうなと思う。
この先友人含め親しい関係を築ける人ができる気配が皆無なので、
マジで今は「いつ自分の人生が決定的に壊れるのか」ということに

怯えながら生きているというのが実情である。

きっと2度目の人間関係リセットの時は、明るさを失わなければ

良かったのだと思うが、
自分はまた、まともに笑ったり人を笑わせたりできない人間になってしまった。
それだけの強さが自分に無かったのだ。