犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

目の前にある選択肢が絶望的(2024/4/16)

直近2年ぐらいの時間の使い方をさらに考えていくと、今のところ、
(1)やっていて非常に楽しいが、全く自分に適性がないと分かっていること
(2)業界の上位5%ぐらいの適性はあるが、努力が非常に苦痛と感じること
(3)ゲームや漫画などの、受動的な趣味を消費し続けること
(4)土日も本業の勉強に徹すること
の4択になる。

(1)は自己満足以外の何物でもなく、
(2)は第一感で嫌いと感じることに大量に時間を投下するのはどうかと思い、
(3)は死ぬまでの現状維持の人生を送ることになり、
(4)は障害者雇用の中で頑張ってもキャリアの天井が非常に低そうで、
どれを選んでもそこには幸福がないように思える。

人間関係に恵まれていたり、
本業が充実していたりすれば、
きっと余暇時間の使い方で悩んだりしないのだろうが、
どちらも満足とは程遠い現状、
流行りの言葉を使えば自己肯定感を得る手段が何か欲しい、
というか、
人生を肯定する手段が何か欲しいのである。

また、自分は何故か、若い頃から
「形に残るものを残したい」
と思い続けてきて、
歳をとってその思いが一層強くなってきたから、
やっていく過程で形として残るものがあるということで、
今のところは苦行的な選択肢の(2)が最有力である。

(1)は、具体的に言えば、
13年ぐらいやって全く駄目だった小説執筆を再開することで、
かつて諦めたことをまたやるのは時間の無駄じゃないか、
という思いが非常に強い。

(3)は日常に楽しみが生まれる一方、人生に紛れがなくなるから、
「いつか、この生活に大きなプラスの変化が起きるかも知れない」
みたいな思いを抱けない辛さと向き合わなければいけないから、
ある意味では楽だが、ある意味ではとても苦しい選択となりそう。

(4)は、独立できるとか業界有名人になれるとかの展望が、
仕事に打ち込んだ先にあれば良いのだが、
自分には到底、独立する度胸も能力もないし、
この年齢から業界有名人になれるほどの気力も体力も頭脳もない。
それに、我ながら臆病だと思いつつも、
現状ではこの先も障害者雇用の中で働いていくつもりだから、
年収を少し増やすことのためだけに、
他の可能性をバッサリ捨ててしまうのはどうなのか、という思いがある。

職場の同年代の人々を見ていると、
いまだにこんなことで悩んでいる自分を本当に情けなく思うし、
きっと自分の人生にはプラス方向に紛れる余地が残っていないだろうし、
いい加減現実を受け入れろと自分に言い聞かせたくなるが、
本音レベルで人生に納得がいっていないから仕方がない。

精一杯足掻きたいと思っているので、
素直に精一杯足搔くつもりである。

でも(2)の選択は苦行でしかないから、
何かもっと良い時間の使い方はないかと、
この先もじっくり考えていくつもりである。