犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

大学で体験したカルチャーショックについて(2024/3/19)

自分が過ごした田舎の小中学校では、誇張ではなく、
「喧嘩が強くて、女の子にモテる奴が偉い。勉強ばっかりしている奴はダサい」
という価値観の同級生が多かった。

将来やりたい仕事とか、進路とかについて同級生と話すことはほとんどなかった。
というか、そういうことを同級生と話した記憶がない。
ゲームや漫画や部活の話とか、身の回りに転がっている、

とても具体的なことばかり、話していた気がする。
(高校時代は、友達がいなかったから、

同級生たちがどんなことを話していたのか分からない)

母は自分に「勉強しろ」とやかましく言ってきたが、
受験生時代には、なぜ勉強しなければならないのか本当に分からなかった。
大企業に勤めているような、大人と会話したことが実質0だったし、
自分が住んでいた地域では、自営業か中小企業に勤める大人がほとんどだった。

どういうことを学んだ人が、どういう職業に就くのか、

といったこともほとんど知らなかった。
CMをやっているような会社は知っていたが、世の中にどのような会社があって、
そもそも、どのような職業があるのか、どのような生き方があるのか、

ということも全然知らなかった。

インターネットをやっていなかったことが非常に大きく、
また、非常に交友関係が狭かった上に、

地方公務員の父がほとんど何もアドバイス
くれなかったこともあり、

暗黒の高校時代にはすでに小説家を目指すことを「決意」していて、
自分は「母が厳しく言うから」という理由で、特に学びたいこともなく、
都会にある、とある私立大学の文系学部に進学することになった。

そこでまず、「僕って賢いんだぜ?」と言わんばかりの、
(ある程度)勉強が得意なことを自慢というか、

自ら誇るようなタイプの人間が少なからずいて、
それが一番大きなカルチャーショックだった。

彼らの多くは大都市圏出身で、

大企業勤めや士業などの高収入の親を持っている場合が多くて、
今思えば、入学した直後から就活を意識した
サークル選びをしていて、とても要領が良く、上昇志向が強い人間が少なくなかった。

彼らと話していると、勉強が得意な同級生が高く評価される環境で育ってきた様子で、
社会的地位のようなことに非常に意識が強くて、

「今まで関わってきた同級生と、全く気質が違う」と感じた。

自分は何回か、「世間知らずだ」ということをサークルの先輩から

指摘されたこともあって、
「やっぱそうなのか?」という感想だったが、今思えば、
田舎出身で、授業もほとんど出ず、

「自分は小説家になりたいです」と公言しているような
垢抜けない若者は、同級生たちの目には、

相当痛々しい代物に映っていただろうと思う。
(恐らく、陰で嘲笑されていたことだろう)

そんな彼らを見て、自分の中では、

「一度しかない人生で、なぜ夢を追わないの?」とか
痛々しい反発心を抱いていて、1年生から資格試験の勉強を始めていたり、
社会と色々関わって、色々やっている人々に対し、「現実的すぎないか」と、

怒りに似た感情を抱いたりもしていた。

しかし、その結果は、彼らは就活で大成功して、自分は就活で惨敗、
おまけに大学1年生からずっと時間をつぎ込んでいた、小説家の夢に挫折して、
挙句の果てに障害者手帳を取る羽目になる、という非常に辛い結末が待っていた。

ああ、彼らは世間というものを知っていて、自分の立ち位置も分かっていて、
逆算的に大学時代から準備していたのだなあ、

と後に大きな敗北感を抱くことになった。
劣等感に長く苦しむことになったし、もっと大学時代に多くの人に関わって、
人の意見に耳を傾けておけば良かったと、凄まじい後悔に襲われた。

もちろん、そもそもの文理選択が間違っていたと思うから、
もし中学校時代から、多くの実社会の情報が自分の手元に飛び込んでくる

環境に身をおけていたなら、
相当に時間の使い方が異なったものになっていたのに、と思わずにはいられない。

当然、人の話をほとんど聞こうとしなかった自分が一番悪いのだが、
誰か世間を分かっている大人に、

はっきりと自分の立ち位置というものを指摘して欲しかった。