犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

対人関係について(2024/3/20)

自分は、本当に、同級生から親しみを持たれない人間だった。
中学校時代には調子に乗って、傲慢な人間になっていたこともあったが、
誰かをいじめたり、意地悪をしたりすることはなかったのに、
遊びに誘われることが圧倒的に少なかったし、「仲良しグループを作る」際には、
いつも余り者になってしまうような感じだった。

1学年1クラスという環境で、小学校の卒業時には、誰も自分に、
卒業アルバムへのサインを求めてくれなかったことが、

かなりショックだったことを覚えている。

中学校時代は、かなり多い回数同級生たちと遊んだが、
後から振り返れば、本当に仲良くなったのは、実質2人だけだった。
他の同級生たちとは、どこか距離があったように思うし、
この頃には友人数を非常に気にするようになっていたから、

かなりの自分のコンプレックスでもあった。

自分は「この人と仲良くなりたい」と思った人でも、

自分から近づいて仲良くなるということが全くできなかった。
昼休みにグラウンドでサッカーをやっている集団に対し、

「俺も入れて!」と気軽に声をかけて
みんなの輪にすっと入れるような同級生に対し、強い羨望を抱いていたし、
同級生同士の仲の良さに対して、強い嫉妬の感情を抱いたりもした。

また、何故か、自分の友人同士が、仲は悪くないが、微妙に仲が良くもない、

という状況が何度もあった。
たとえば、3人で遊べばそこそこ盛り上がるのに、自分以外の2人が、

微妙に仲良くならないなんてことばかりだった。
3人や4人グループになればもっと楽しくなれるのに、

そんな歯がゆい思いを頻繁に抱えていたことを覚えている。

そして、暗黒の高校時代を経たのち、
やがて相手の目の色を慎重にうかがって、

相手からの好意を鏡のように反射するような、
自分を嫌っている人とは距離を置いて、

自分を好んでいる相手には友好的な態度を示す、
というスタンスで、同級生との関係をこなすようになった。

また、我ながら異常だと思うが、

「自分が相手を嫌っていても、相手が自分を好いていればそれで良い」
と思い、内心好んでいない人物とも、

孤独が嫌だから交友を持つような人間になっていた。

大学生になる頃には、かなりの対人恐怖症で、

「目の前のこの人物に、突然切られるかも知れない」という不安を
常に抱えることになったから、少し連絡の間隔が空いたら、

自分からは一切連絡をしないようにしていたし、
実際、自分のような気の弱い人間を嫌う同級生は多かったこともあり、

大学時代も多くの嫌な経験をすることになった。

この頃には、友人が非常に少ないということへのコンプレックスが

凄まじくなっていて、
鬱を悪化させる最大の原因だったし、大学のカウンセリング施設のようなところで、

長期間悩みを相談したりもした。

また、サークルには1年程度しかいなかったが、

先輩たちからは全く可愛がられることなく、
同級生に「OBの誰々がお前が嫌いって言ってたよ」と言われたこともあり、
自分は人間として相当な異常者なんじゃないかと、深刻に悩むこともあった。
実際、自分は「変わってる」と言われることが多くて、

からかわれることが多かったし、
異常者として扱われた経験も数多くあって、

相当精神的に追い詰められたことも少なくなかった。

この、縦の人間関係の苦手さは、会社に入ってから更に明確になった。
自分に対して友好的な態度をとる上司や先輩とはうまくやれるのだが、
自分に対して厳しい人、優しくない人とは、

どんどん険悪な関係になってしまう始末だった。

それに、飲み会というものが致命的に苦手だった。
人の発言に対して上手く笑うことができなかったし、

人を笑わせることができなかった。
近くに座っている人と喋ることが全く思いつかなくて、

飲み会を地獄のように感じていた。
陽気な雰囲気を、自分が強く損なっているといつも焦っていて、

何とか愛想笑いをするので精一杯だった。

上司から「詰まんない奴だな」と言われたこともあったし、
自分が就活面接で騙すことになってしまった役員に、

「お爺さんみたいだな」と強い皮肉を言われたこともある。

また、新卒で入った会社では、

「役員の誰々が、お前のことを元気が無いと言っていた」と

人から聞いたことがあって、
そのことが理由で行きたくない部署に異動させられたこともあった。
(結局それで厳しい上司の下に配属されて、退職することになってしまった)

今思えば、自分が就活で落とされまくったのは、

こんな自分の対人関係能力の突出した低さが
露見していたからと思うが、若い頃は人間関係で失敗するごとに、

ひどく落ち込んでいたし、
早く小説家になって自由になりたい、という思いを強めることにもなった。
(結局夢は叶わなかった)

ただ、30代の中盤頃になると、対人関係よりも仕事の方が大事だな、
友達は人生のデザートみたいなもんだな、と考えるようになったこともあり、
徐々に、友人についてのコンプレックスは軽減していった。

そして40歳を過ぎた今となると、

何故あんなに自分は友達がいないことに心を病んでいたのだろうと、
当時の感覚がほとんど分からないまでになった。
そんなことに気を病まないで、必死こいて勉強していれば良かった、

などと考えるようになった。
(インターネットで、自分以外に、友人が誰もいない人間が少なくない数

いることを知れたことも大きい)

もちろん孤独は辛いのだが、それは他人と比較してと言うよりも、
自分の味方がいない心細さとか、誰も自分を知る人がいない寂しさとか、
自分が闇堕ちしそうになった時に、

ストップをかけてくれる人が誰もいないことへの危機感のようなものに変化した。

まあ、この先に新しく友達ができることはないだろうが、
何かしらの形で、味方を作ることができたら幸いだと思う。