別の記事で述べたように、なんか自分は、
うまく友達同士が仲良くなってくれないこともあって、
友人関係がどうしても1対1になってしまう感じだった。
自分の友達は、必ずしも自分のように気弱で元気がない人ばかりではなかったが、
やはり結果として長い時間を共に過ごすことになったのは、
自分と性格の似た、人生に暗い陰の部分を持つ人々だった。
そのうちの何人かは、かなり気が合って、何時間でも喋っていられたし、
喋っていて自分が笑うことも多かったし、自分が相手を笑わせることも多かった。
心の底から、一緒に過ごしていて楽しいと思った。
こんな関係がこの先一生続けばよいと、願わずにはいられなかった。
二人でずっと喋っている時、お互いの人生の暗い陰の部分については、
自分たちは慎重に言及をすることを避けていた。
言及をすることがあっても、基本的にはお互いに自虐的な笑いにして、
真剣な口調で会話をすることは避けていたし、
時に直接的な言及をすることがあっても、あまり話が長引かないようにしていた。
だけど、そんな関係もずっと続いていくと、段々と重苦しくなっていくというか、
お互いにアンタッチャブルな部分が多くあるということが、
徐々に友情を侵食していって、
お互いのことを知りすぎるということもあってか、
毎回のように、どんどん愛憎関係のようなものになっていってしまった。
僕が対人恐怖から、連絡が一定期間空いたら一切自分から連絡しなくなる
人間であることもあり、
少なくとも相手が僕に対し少し嫌悪感を抱いた時期が生じると、
一気に関係が消滅していった。
また、相手の人生が劇的に好転して、
相手に上から目線の発言を連発されるようになったり、
自分を使って相手の考えを試そうとするかのうような、
「アドバイス」を強制されそうになったり、
要は「体よく利用されたな」と感じることが何回もあって、
結局自分は最初から見下されていたんだと思ったりして、
最悪な気分で、自分から関係を解消したこともあった。
結局のところ、お互いに孤独が嫌だったから、
まがい物の友情を拵えたんじゃないかとか、
そもそも不健康な人間同士には、真の友情の成立など無理な話なんじゃないかとか、
一連の友人関係の破綻で、かなり色々考えさせられた。
今では、もう友人を持つことは諦めたし、
友人は人生のデザートみたいなもんだと思うようになったが、
それでも、やはり昔からの友人と今でも連絡を取っている、
というような話を耳にすると、
強烈に劣等感を刺激される。
非は自分にあるのは分かっていて、自分が物事を考えすぎるし、
邪悪な部分を必死に理性で抑え込んでいるような調子だから、
そもそもの人間性に問題があるのだが、それでも、親友というものが、
1人か2人でも残ってくれていれば、
今より大分マシな人生だったと思わずにはいられない。