犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

時間の使い方の悩ましさ(2024/3/26)

自分の同年代の人々は、
恐らくはもう30歳ぐらいから、
過去の蓄積で勝負しているのだろうが、
僕は人生がさんざん迷走した結果、
40数年生きてきて、現在の本業のキャリアが
通算3年半しかないという、
非常に危機的な状態にある。

とっくに手持ちのカードで勝負しているべき年齢に、
何も手持ちのカードがないのである。

そこで、自分なりに
何にどれぐらいの時間を割くべきか、
日々ずっと考えているのだが、
これが非常に、悩ましい。

とりあえず、本業にだけ打ち込んでいれば、
会社をクビにならない限りは何とか生きていけそうだが、
我ながら欲張りな考えだとは思うが、
それは死ぬまでの現状維持で、
自分が老人になった時に激しく後悔しそう、
という危惧がある。

実際は、両親が死んだり、
自分が更に心身ともに衰えていったりして、
緩やかな衰退になると思われ、
日常生活のほとんどのことに飽きた現在、
そのような人生は、
途中からかなり辛くなるのでは、
という思いがある。

ただ、勤務時間外に何かするとなっても、
正攻法では、本業でやっていたり、
過去の膨大な蓄積がある人々に、
到底歯が立ちそうにない。

それに、残念ながら自分は何も突出した才能がないし、
あまり賢い人間でもないから、
やはり、ニッチなことをやらないと何も道は開けなさそうだと、
考えている。

そして、その場合自分が深く傷つくだろう状況に
自分を晒す必要はどうしても生じてしまいそうなので、
果たして自分にそれが耐えられるのか、
到底自分に務まらないことをやろうとしているのではないか、
という考えもある。

一方で、歳をとって自分の内面が変化した可能性もある、
ギリギリのところまでは、やってみてもいいんじゃないかと、
思う部分もある。

また、過去に自分に適性がないことをやって
膨大な時間を無駄にしてしまったのだが、
かなりやりたいことというのが今1つあって、
でもそれには10年近い勉強が必要そうで、
さすがに50歳からの日々のために今何かをするのは遅すぎるという思いや、
50歳は確かに遅いけど、もし50歳からやりたいことがやれるなら最高だという思いや、
10年やってものにならなかったら、
それこそ人生のラストチャンスを棒に振ってしまうという思いなど、
まあ、様々な思いが頭の中をぐるぐるとしている。

それに、好きではないが多少の適性があって、5年程度続けたマイナーなことを、
逆張りして再開して、
本腰を入れるのもありなのではないか、などという考えもある。

要は、自分は、この年になってもまだ夢を見ていたいのである。
現実逃避と言われればその通りだが、
人生に全く上振れがなく、ただ下降するのみ、となってしまうのが
本当に怖いのである。
(きっと既にそうなってしまっている可能性が濃厚だが)

すぐに結果が出てくれれば良いのだが、
残念ながら、ある程度の蓄積がないと何も変化しそうにない。

そして、どうしても、
先が見えない状態で決断を下すというのは、
運任せな部分が出てきてしまって辛い。

本当に、自分がせめてあと5歳若かったらと思わずにいられない。
きっと60歳になるのなんてあっと言う間だろうし、
早く時間の使い方についての考えを、明確にしたい。