犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

人の選択に影響されてしまう自分(2024/3/30)

最近、ネット上で自分が一方的に知っていたとある人が、
ぱっと見て先行きが物凄く不透明な技術分野に
飛び込んだ事実を知って、
このことに結構強く、心を揺さぶられている。

その人は激烈に優秀で、
エスタブリッシュメントな環境を望めば、
易々と手に入るような人なのだが、
自分の推測では「面白さ」を優先した様子で、
そのシンプルさに感心すると共に、
凄い決断だなと思い、
自分もこのままで良いのか、
と思わずにはいられなかった。

もちろん、恐らく当人は、
徹底的に考えた上で勝算を見出したから
飛び込んだのだろうから、
大きなリスクを負っている感覚は
外野から見ているよりも大分小さいだろうが、
やはり確約された豊かさを放り出すのは
中々できることではないと思う。

この件以外にも、結構な数の、
同様な事象(より大きなものを手放したケースもある)
を以前に観測していて、
それだけ面白い時代になったということなのだろうが、
本音に耳を塞ぐようにして、
必死に日常生活を
守っているだけの自分というものを容赦なく思い知らされて、
かなり混沌とした思いを抱いている。

自分も心の声に素直に従おうかなあ、と思ったり、
同じ失敗を繰り返すのは絶対に駄目だ、と思ったり、
でももう、ここまで来ちゃったから、別にいいかな、と思ったり、
いや駄目だ、未来にツケを押し付ける選択は絶対に駄目だ、と思ったり、
こんな孤独で何も楽しみのない人生を守り通して何になるの、と思ったり、
彼らは優秀だが、自分は無能だ、だから分相応な人生で良しとしろ、と思ったり。

少なくとも、少しでも人生に紛れが出てくるような
時間の使い方をするつもりだが、
自分の望むままに生きようとしている人々を見ると、
本当に大きく心を揺さぶられる。

人生の残り時間の少なさを思い知らされるし、
過去の時間の使い方の失敗、
というか人生の分岐点での選択の失敗を
嫌と言うほど思い知らされる。

決断をいつまでも先延ばしにしていられればなあ、
と思ったりするが、
やはり、決定的な事実として、もう自分には残り時間が少ない。

むしろ一本道に追い込んでくれよとか思ったりもするが、
決断の時の到来は、避けられそうにない。