犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

30代前半で無職になった時、対人を中心とする仕事が無理だった僕が検討した職業と、その見送り理由(2024/3/23)

〇翻訳業
何かしらの学校に通わなければ厳しそうだったし、
結構競争が激しそうだった。
 
今の日本には英語が得意な人がザラにいるので、
その中でプロとして仕事をする
レベルになるのは相当大変そうで、
勉強の途中で挫折する可能性もかなりあるな、と思った。
また、AIの影響をモロに食らうと思ったので、見送り。
     
 
収益を上げるのがかなり大変そうだったが、
たとえ赤字を抱えることになったとしても、
技術が身について転職のアピール材料になるから、
かなり魅力的だった。
          
しばらくは非正規の仕事を続けながら、
副業としてやろうかと検討した。
しかし、
ユーザーからの連絡にはかなり辛辣な言葉も含まれている様子で、
サイトの運営をするとなると、
ユーザーからの連絡を無視する訳にもいかず、
この部分が最大の障壁かと考えた。
 
そこで、詳しくは書かないが、実際にとある場所で、
どのぐらい自分がネット上での攻撃への耐性が
あるか試してみて、まるで耐えられそうになかったので、
これは無理だと思って諦めることにした。    
(誰かクレーム対応を担当してくれる、
協力者がいれば良かったが、そんな人はいなかった)
    
     
〇農業
昔、親から、初期投資がかなりかかるし、
修業が必要だし、食っていくのはかなり大変だと聞いていた。
(実際、自分の実家のある地域では、
兼業農家がほとんどで、専業農家は数えるほどしかいなかった)
 
それに、とにかく車の運転が大の苦手だから、
運転が必須なのも厳しかった。
何より、体力的に無理だと思い、諦めた。
 
 
〇研究者
年齢的に、修士に行くのが遅すぎると思って、諦め。
それに、結構年齢がいってから修士に行って、
常勤の仕事についた実例を知ってはいたが、
かなりのレアケースな様子だったし、
奨学金としてかなりの借金を重ねることになるし、
小説家の夢に挫折しておきながら、
再び才能の世界に飛び込むのは危険すぎると考えた。
    
実はその後、30代中盤で「AIを研究したい」と言って仕事を辞め、
大学院入試に必要な勉強を始めたりしたのだが、
両親からの猛烈な反対により、受験を断念したことがあった。
 
この時は、さすがに常勤の職につけるとは全く思っていなくて、
何か非正規でいいから、
一般枠の仕事をするために、
高い専門性を身につけたいと考えていた。
(障害者雇用の、あまりの将来展望の無さに絶望していた)
 
今思えば、研究室訪問前だったが、
研究室訪問をする段になったら、
教員から断固として拒否されていたに違いないと思うが。
 
 
〇障害者枠での、プログラマ
最初は個人Webサービスが本命だったが、
途中からこちらが本命になった。
 
会社にクレーム対応が苦手であることを伝えて、
そういった場面を回避しつつ、
しっかりと技術を身につけて、
その後の身の振り方を考えようと思った。
 
結果として、現在、障害者枠でのプログラマ
というかITエンジニアをしているが、
障害者枠での仕事をはじめてから、
今の仕事に就くまで、5年近くの歳月を要してしまった。
 
 
〇今日になり、少し期待していること
この先さらにAIが発展して、hotmailGmail
Youtube等に、
辛辣な言葉を自動で検出して弾いてくれる機能が実装されたりすれば、
相当にやれることの幅が広がる。
(多分、技術的にはもうできるんじゃないかと思う)
Googleや、Microsoft等の巨大テック企業には、
大いに期待を寄せている。