犬デウスのブログ

1980年代前半生まれの、発達障害者男性のブログです。

鬱について(2024/3/17)

自分はもう小学校1年生ぐらいには鬱気質を抱えていて、
高校時代に人間関係の大失敗により一気に重度化し、
大学時代は低空飛行、その後も良くなったり、悪くなったりを繰り返しつつ、
ずっと鬱と付き合っている。

抗鬱剤を飲み始めたのは大学3年生ぐらいからだが、
正直もうほとんど効かなくなっていて、
歳をとって様々な悩みに対する具体的な打開策が見つかりそうにないこと、
陰惨なまま過ぎ去ってしまった若い時代、挫折した夢のことなどを考えて、
結構この先泥沼にハマっていきそうな予感がある。

自分は困難に直面すると視野が狭くなってしまって、すぐに逃げ場を探そうとするが、
有効な逃げ場がないと悟るや、一気に鬱を悪化させるということが、
今までに何度もあった。

症状の重い人からすれば、大分軽い方だろうが、

椅子に座っていられなくてほとんど寝たきりの状態が
半年近く続くことがあったし、食欲も激減、常に頭がぼんやりした状態が続く、
という症状に見舞われたことも数多くある。

自分は「ビビりだ」と両親および過去の同級生たちに言われるほどの

小心者であることもあって、
基本的に将来に対しては悲観的で、将来を予想するときは

最悪の結果から考える気質だから、
現在の問題だけではなくて、「将来起こるかも知れない」問題についても、

頭を悩まされている。

また、最悪だった過去の出来事を急に思い出したり、

夢で追体験することなどによって、
実際にあった陰惨な過去たちにも、精神を削られている。

そんな時は、あまり推奨される対処法ではないと思うが、
自分よりもずっと苦しい人生を送った、先人たちの人生についての記事を

ネットで眺める。
そうすると、自分なんて相当幸せな部類だし、

ただの甘ちゃん野郎だと思うことができて、
落ち込んだ心に喝を入れることができる。

ただ、仏教の考えを取り入れるなどして、

言語による精神の再構築を図ったのだが、
それはさっぱり上手くいかなかった。
理屈では自分が楽になれることが分かるのだが、本音のレベルでの納得感がなく、
相変わらず自分は小さなことにクヨクヨするし、

いつも鬱屈とした気分を抱えている。

良く「中年の危機」という言葉を目にするが、

確かに、「汝自信を知」ってしまった今となっては、
先が見通せなくて不安だった若い時代よりも、「上限」が見えてしまったから、

一層憂鬱が深刻化したという実感がある。

それには、実際に苦境が好転せずに悲劇的な結末を辿ってしまった実例を

いくつも目にしてきたことも加担していて、
現実の容赦の無さというか、

マイナスとプラスの帳尻合わせをしてくれる超常的な存在などないのだ、

ということを
思い知ってしまったということでもある。

今となれば、本当に人生は運ゲーだと思うし、

大いに不満な人生であるが、今ここにこうしてあることも、
ほとんどは運のなせる業だと思う。

この先、事態が少しでも良い方向に転がってくれることを祈るしかない。